最高裁判所第一小法廷 平成4年(行ツ)175号 判決 1993年2月18日
上告人
加藤末男
右訴訟代理人弁護士
黒木美朝
鈴木芳朗
被上告人
愛知県選挙管理委員会
右代表者委員長
富岡健一
主文
本件上告を棄却する。
上告費用は上告人の負担とする。
理由
上告代理人黒木美朝、同鈴木芳朗の上告理由について
原告の適法に確定するところによれば、本件選挙の候補者の中に大場康夫と小林康宏がおり、投票所の記載台に掲示してある候補者名一覧表に記載された大場康夫の氏名の左隣に小林康宏の氏名が、それぞれ振り仮名を付した上、並んで掲示されていたというのである。そして、本件係争票のうち「大場康宏」と記載された投票は、その記載において候補者大場康夫の氏名と四文字中上位三文字までが合致しており、わずかに名の第二字が一致しないにすぎないこと、同票の「康宏」と候補者大場康夫の名である「康夫」は音感及び外観において類似すること、同票の「大場」と候補者小林康宏の氏である「小林」とは類似性がないことにかんがみれば、原審認定の右状況の下においては、本件係争票のうち「大場康宏」と記載された投票は、選挙人が大場康夫に投票する意思をもってその名の「夫」の一字を「宏」と誤記したもので、同人に対する有効投票と認めるのが相当である。また、本件係争票のうち「大場やすひろ」と記載された投票は「大場康宏」の記載の名の部分を平仮名で記載したものであるにすぎないから、右と同様に、大場康夫に対する有効投票と認めるのが相当である。以上と同旨の原審の判断は、正当として是認することができ、その過程に所論の違法はない。論旨は採用することができない。
よって、行政事件訴訟法七条、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官三好達 裁判官大堀誠一 裁判官味村治 裁判官小野幹雄)
上告代理人黒木美朝、同鈴木芳朗の上告理由
一 上告理由第一点(民訴法三九五条一項六号、理由不備、理由齟齬)
原判決には次のとおり理由不備、理由齟齬の違法があり破棄を免れない。
原判決は、平成三年四月二一日執行の愛知県蒲郡市議会議員一般選挙において投票された大場康宏票、大場やすひろ票について次のとおり認定説示して候補者大場康夫の有効投票と認定された。
すなわち、「大場康宏票の効力について考えるに、同票は大場康夫の氏名四字中上位三字まで合致しており、小林康宏、大場ひさみつ、大場実の氏名と比較して大場康夫の氏名に最も近い記載であるところ、本件候補者名一覧表に記載された大場康夫の左隣りに小林康宏の名が並んで掲示されていたことも併せ考えると、同票は選挙人が大場康夫に投票しようとして、右一覧表に隣接して併記してある小林康宏の名の文字、語感が類似しているため、名のうち第二字を誤って記載したものと推認できるから、蒲郡市の地域性も考慮しても、大場康夫に対する有効投票と認めるのが相当であり、他の特段の事情を認めるに足りる証拠は存しない。」(原判決二四丁裏五行目から二五丁表五行目まで)大場やすひろ票については、「名の部分をひらがなで記載したものであるから、同じ理由により大場康夫に対する有効投票と認定するのが相当である。」(原判決二五丁表九行目から末行まで)
しかしながら、上告人は原審において蒲郡市の地域性につき特段の事情として「蒲郡市は昔から農業、漁業を営むものが多く住民には定着性があり、同姓一党が聚落をつくり、姓をもって人を特定するのに極めて困難な地域であり、名もしくは屋号などの通称で人を特定する風習の土地柄である。現に大場康夫の出身地である蒲郡市豊岡地内には大場姓を名乗る住民一一四世帯が居住しており、同町内から、大場康夫、大場ひさみつ及び大場実の三名が本件選挙に立候補していたのであるから、大場康夫を特定するためには、その名もしくは通称で区別するほかないのである」旨を主張し、原判決にも原告の主張として事実摘示されている。(原判決七丁表四行目から同裏一行目まで)
前記原判決の説示にある蒲郡市の地域性を考慮すれば、大場康宏票は康宏という名の方に重点があるのであるから、大場康夫の有効票とは認められない筋合いである。原判決は上告人が原審で主張した蒲郡市の地域性すなわち名もしくは屋号などの通称で人を特定する風習の土地柄であることを全く考慮に入れず、氏名全体の類似性によって判断する通常の考えに基づき、「大場康夫の大場康宏とは全体的にみて類似性があり、大場康夫の氏名にもっとも近い記載であるので同人の名のうち第二字を誤記したものと認めるのが相当である」と説示された。(「原判決二四丁裏一行目から四行目まで)
原判決の右説示では上告人が原審で主張した蒲郡市の地域性にもとづく特段の事情について全く判断されていない。上告人の主張する蒲郡市の地域性に基づき名を重点的に考えると、大場康宏票は康宏の名が同一である小林康宏という候補者が厳存する限り、大場康夫と小林康宏の混記として無効票とみるべきが至当である。投票者は康宏という名のみ記憶していて姓を忘れ、投票台に掲示されている候補者一覧表の小林康宏を右隣の大場康夫の大場姓と見誤まり氏を誤記したという推測も可能である。
原判決は「大場という姓(氏)は記憶していてもその名前については記憶が不明瞭、不確実な選挙人も相当数存在したであろうことは容易に推認できる」という。(原判決二三丁表一〇行目から末行まで)上告人が原審で主張した地域性にもとづく特段の事情を考慮すれば、このような推認はなしえない。むしろ、康宏という名を記憶していてもその氏については不明瞭、不確実な選挙人が相当数存在したというのが蒲郡市の実情なのである。従って、蒲郡市の選挙管理委員会においては、このような場合を氏名の混記として無効票とする慣例が確立されていた。たまたま、被上告人が蒲郡市の地域性を無視して一般例による最高裁判例に従い、三字同一を理由としてこれを有効と裁決したものである。
原判決が蒲郡市の地域性にもとづく特段の事情を事実認定において判断しておきながら、大場康宏票の有効無効を判断するにあたり名を重点とした場合の検討をしていないのは理由不備というべきである。「地域性を考慮しても大場康夫の有効投票と認めるのが相当である」との説示によって上告人の地域性にもとづく特段事情の主張を却ける判断が含まれていると解釈されるならば、地域性に特段の事由があるとの前段の事実認定と地域性を考慮しても大場康夫の有効投票と認めるのが相当であるとの説示は理由にくいちがいがあるというべきである。
二 上告理由第二点(民訴法三九四条 法令違背、経験則違背)
原判決は公職選挙法六七条の解釈適用を誤まり、ひいては同法六八条一項七号を適用しなかった判決に影響を及ぼすべき法令違背、経験則違背があり破棄さるべきである。
(一) 原判決は大場康宏票、大場やすひろ票に関し、「候補者の氏と名を混記した投票の効力について、いずれか一方の氏名にもっとも近い記載のものはこれをその候補者に対する投票と認め、合致しない記載はこれを誤った記憶によるものか、または単なる誤記と解するのが相当である」と判断し、その理由として
1 選挙人は常に必ずしも平常から候補者たるべき者の氏名を正確に記憶しているわけではない。
2 選挙に際して候補者氏名の掲示、ポスター、新聞、演説会を通してその氏名をはじめて記憶する者が多く、そのなかにはその氏名の記憶が不明瞭、不正確な者も当然存在することが推認できる。
3 選挙人は一人の候補者に対して投票する意思でその氏名を記載するものと解されること
をあげている。(原判決一九丁裏七行目から二〇丁表一〇行目までと二五丁表九行目から同末行まで)
右の1、2については、特段の事情のない場合の一般論としては首肯しうるが、本件については該当しない。上告人が原審で主張し、原判決にも事実摘示されているとおり、蒲郡市の地域性による特段の事情が存在する。すなわち、蒲郡市においては同姓一党が聚落をつくり姓をもって人を特定するのに極めて困難な地域であり、名もしくは屋号などの通称で人を特定する風習の土地柄であるから、選挙人のなかには候補者の名は記憶していても姓を正確に記憶していない人も存することが推認される。
3、については故意に別人の氏と名を混記する例も否定し得ない。
従って、蒲郡市においては氏と名を混記した投票について同一名の候補者が他に存在するかぎり、氏名を総体的にみて、いずれか一方の氏名にもっとも近い記載をもって選挙人の意思を推測することはできず、右のように推測して合致しない記載を誤った記憶によるとか、単なる誤記とする解釈は相当でない。
むしろ、名に重点をおいて名の合致する候補者に投票する意思で氏を誤記したものと解する余地があり、公職選挙法六八条一項七号所定の「公職の候補者の何人を記載したかを確認し難いもの」を適用して無効票として取扱うのが至当である。
原判決は公職選挙法六七条の解釈適用をあやまり、ひいては同法六八条一項七号を適用しなかった点において判決に影響を及ぼすことの明らかな法令違背があり破棄さるべきである。
(二) 蒲郡市選挙管理委員会においては、従来から氏名の混記については無効票として取扱う慣行があり、本件選挙の開票に当っても大場康宏票、大場やすひろ票を無効投票とすることにつき、開票立会人からなんら意見の表明もなく開票管理者がこれを無効票と決定したことには公職選挙法六七条前段の手続においてなんらの落度もない。
名に重点をおく地域性による特段の事情を無視して一般的な氏名全体の類似性によって判断を加え「大場康夫と大場康宏(大場やすひろ)とは全体的にみて類似性があり大場康夫の氏名にもっとも近い記載であるので、同人の名のうち第二字を誤記したものと認めるのが相当である」との原審の判断は蒲郡市選挙管理委員会の従来の各選挙において立候補者二名の氏名混記による無効票として取扱ってきた慣行に反するものであり、判決に影響を及ぼすべき経験則違背あるものというべく、この点においても原判決は破棄さるべきである。
三 上告理由第三点(民訴法三九四条 審理不尽)
原判決は上告人が原審で主張した地域性による特段の事情につき、判決に影響を及ぼすべき審理不尽の違法があり、破棄差戻をしていただきたい。
原判決は大場康宏票について、蒲郡市の地域性を考慮しても大場康夫に対する有効投票と認めるのが相当であり、他に特段の事情を認めるに足りる証拠は存しないと説示し、大場やすひろ票について大場康宏の名の部分をひらがなで記載したものであるから、同じ理由により大場康夫に対する有効投票と認定するのが相当であると説示した。
そして、原判決は、上告人が原審で主張した蒲郡市の地域性についてはこれを認め、同姓一党が聚落を形成している地域では姓氏で人を特定するのが困難であるため名もしくは屋号など通称で人を特定することが多かったと説示しながら、右は同姓の者が多数居住する地域内での習慣であって、蒲郡市の住民全部が名もしくは屋号で人を特定しているわけでなく、地域外に出れば姓で人を特定するのが一般的である旨判示し、本件選挙は中規模の地方選挙であることが窺えるから、大場康夫に投票する意思を有する選挙人のすべてがその氏名を正確に記憶しているとは断定できない、と判断された。しかし、これでは折角認定された蒲郡市の地域性が大場康宏票の有効、無効の判断に活用されていない。
すなわち、原判決は本件選挙を中規模の地方選挙というが、蒲郡市は戦後大塚、三谷、蒲郡、塩津、形原、西浦の各町村が順次合併したもので、いわゆる田舎の寄り合い所帯ともいうべき各地域がそれぞれ実質上は分かれていて、候補者は地域代表的性格が強く、公明党や共産党のような組織票を全く有しない自民党系の大場康夫、小林康宏の両候補においては得票は地域の選挙人のほかは投票を期待するのは友人か知人にすぎない。
従って、原判決のいうような大場康夫に投票する意思を有する選挙人のすべてがその氏名を正確に記憶しているとは断定できないということは、氏は兎に角、名については記憶をまちがえることは断じてあり得ないのである。
また、形原町に隣接する旧塩津村竹谷の竹谷町には小林姓が多く、形原町の小林康宏のほか竹谷町から同姓の小林正二が立候補していたのである。そして、小林康宏は「康宏」「やすひろ」の名に重点をおいて選挙運動をしていたのであるから(<書証番号略>小林やすひろの選挙用ポスター)、「康宏」「やすひろ」票は小林康宏に投票する意思の選挙人が姓をあやまって記載したとの推測も否定しえない。
この地域の特段の事情については、原審で<書証番号略>を提出したが、原判決の認定説示では地域性についての審理が十分でなかったと思料される。
この点において原判決には審理不尽の違法があるから、原判決を破棄して原審に差し戻し地域性に関する特段の事情についての審理をつくさせていただくようお願い致します。